叱る。という「大変」さ

「怒る」ことと「叱る」ことは違います。

 

しかし、この違いが

わからない方は非常に多いのかもしれません。

 

「怒ること」は誰にでもできますが

「叱ること」は「大人」にしかできません。

「叱る」ということは

かなりエネルギーを使う

結構大変なことであったりします。

 

なかなか知られていませんが

「叱る」って

実は、非常に大変なことなのです。

 

「どうでもいいひと」をわざわざ叱ったりはしません。

 

「どうでもいいひと」にわざわざ自分の大切なエネルギーを

あげる人はいないからです。

 

ですから

「叱られる」ということを別の角度から見ると

 

「エネルギーをもらっている」という事になりますし

「エネルギーを奪っている」という事にもなります。

 

このあたり、なかなか気が付かずに

「無意識でやっている方」は多いかもしれません。

 

その典型的なカタチがあります。

 

世の中に「偶然」はひとつもありません。

すべては「必然」です。

 

つまりは

「本人が叱られたくてやっている」ということ

なのですよね。

 

ご本人の乗り越えるべき課題として

無意識に「叱られる事」を引き寄せているのですが

何か問題が起きると

自分の殻の中に「こもってしまう」のです。

 

本来

 

なぜ叱られたのか

何をしたから叱られたのか

 

このふたつがわかりませんと

「叱られた理由」がわかりませんので

「直しようがない」ということになります。

 

しかし

「そのふたつ」を聞くことが出来ない傾向が強いのです。

 

その流れは、こんなかんじです。

 

叱られた。

 

➡叱られたから、謝った。

 

➡それなのに、また、同じことを言われる。

 

➡謝ったのに、終わらない。

 

➡みんな、自分のことを悪く言う。

 

➡謝ったのに、許してもらえない。

 

➡もういい!もう嫌だ!一人にして!!

 

これは、両親や近しい人から受けた

トラウマの残像なのですが

本人は、なかなか気づくことが出来ません。

 

謝っても許してもらえなかったり

同じことを言われたり

謝っても終わらないのは

「理由」があります。

 

それは

なぜ叱られたのか

何をしたから叱られたのか

「見なくてはいけないところまで見ていないから」です。

 

見えないところ。というのは

「その人が、なぜ叱るのか」という部分です。

 

叱っているほうには必ず

「伝えたい事」があります。

 

それは

エネルギーを注いででも伝えたい事です。

 

冒頭で申し上げましたが

「どうでもいいひと」をわざわざ叱ったりはしません。

 「どうでもいいひと」にわざわざ自分の大切なエネルギーを

あげる人はいないからです。

 

これは

エネルギーを注がれたい人

エネルギーを注ぎたい人

両方がいて成立している関係性です。

 

見なくてはいけないところまで見ていないから

同じようなことが起きているだけなのです。

 

しかし

 

エネルギーを受け取る側は、まだいいのです。

エネルギーを与える側は

本当に、本当に「大変」なのです。

 

叱らずに、注意せずに

 

謝ったのだからそれでいいよね。

よくできました!

 

と、

 

わかっていないことを容認し

あまやかすことは

楽をしようと思えば

いくらでもできるのです。

 

しかし

それをしないのは

 

あなたを信頼しているからに他なりません。

 

必ず、課題を乗り越えられると

信じているからに他なりません。

 

叱ってくれる人は「人間」 です。

使い果たせば、いつかその方の

エネルギーは「ゼロ」になります。

 

そこまで

気が付かないふりをして

そこまで

エネルギーを吸い取り

そこまで

頑なに

 

自分自身の殻に閉じこもるほうを

選び続けますか?

 

あなたのそばにいる

あなたを叱ってくれる人は

ひたすら無償で、無条件で

あなたを叱っています。

 

その愛や

その過酷さが

あなたに理解できますか?

 

あなたは

心の底から愛されています。

 

はやく、気づいて差し上げてくださいね。