かけがえのない存在を「見落とす」人たち

家族やパートナーに限らず

 

「他人をどうにかしようとする癖」

 

をお持ちの方は、少なくないのだなぁと感じます。

 

「やさしくしてくれない」

「話を聞いてくれない」

「気遣ってくれない」

 

などなど

 

ない・ない・ないの ないない尽くしです。

物質的なモノを求めるのではなく

「目には見えないけど、必要な大切なモノ」

を求めるうえで起きる

「不足感」が

満たされない思い➡「不満」となっています。

 

それは

「ふとした時に感じた、ちょっとした不満」の

「積み重ね」

がもとになっているケースが少なくないようです。

 

しかし

その根底にある

「原因」となっている物事に

目を向ける人は多くありません。

 

そのため

「不満を感じる人」は

「不満を解消できない」という現象が起きます。

 

不満の数が、増えれば増えるほど

「イライラ」がつのります。

 

そのイライラを隠そうとして、出さないようにしようとして

無理して「抑制」すると

事態は非常に「込み入って」きます。

 

溜まったものは、入れ物の「許容量」を超えれば

当然ですが

「壊れる」か

「破れる」か

「裂ける」か

「爆発する」か

 

「器」が崩壊するという結末が待っているということになります。

 

その「器」は自分自身にある

「目には見えないモノ」です。

 

通常、人は「自分を守り」ます。

 

自分の「器」が

何者かによって「破壊」されそうになれば

「防御」します。

 

それが

「他人をどうにかしようとする癖」

として「顕在化」していると考えると

どんな感じがするでしょうか?

 

「足りない」という感覚は

人を「攻撃」する「もと」になり得ます。

 

それを言葉にしてはっきりと

相手にわかるように

「伝えることが出来る方」は

それほど「もと」は「溜まらない」と思います。

 

しかし

「伝えることが出来ない方」は

「相手を変える事」にエネルギーを注ぎ始めます。

 

それは

「こうしたらいいよ」

「ああしてみたらいいよ」

 

といった言葉として表現されることが

少なくありません。

 

「アドバイス」ですとか

「助言」といった類のものとして言葉に現れてきます。

 

これは、そうやって少しずつ

「自分の思考、自分の思想、自分の好み」に

「相手を誘導していく」

という方法なのです。

 

アドバイスそのものに

「全く意図がない」という前提ならば

 

自分の価値観などと照らし合わせて

「あ、それって、いいな!」と

感じれば、強制されなくとも

「やってみよう」という気になるでしょう。

 

しかし、アドバイス

 

「明らかな意図」

もしくは

「無意識にコントロールしよう」

という

「目には見えないモノ」を感じると

人は必ず「拒否反応」を起こします。

 

結果

「いくら言っても聞かない」という現象が起きます。

 

それは

「笑顔で優しく、チカラづくで言うことを聞かせよう

としている状態」ということですね。

 

それは、コミュニケーションではありません。

 

ただの「おしつけ」です。

 

大切なのは

「何が不満なのか」を自分に問うことです。

 

そして、それを

「不満を感じる相手」に「わかる言葉で伝える事」です。

 

それが、成熟した大人のコミュニケーションです。

 

あれが足りない、これが足りない

と言って騒いでいますが

それはつまり

 

「騒いでいる本人に、騒いでいるモノが足りていないだけ」

なのですよね。

 

しかし、なぜかそれを

「相手のせい」にしてしまうのです。

 

「自分が欲しい何か」が

自分のパートナーには「ない」ならば

「自分の欲しい何か」を「持っている人」を

パートナーにしたほうがはやいです。

 

「ない」ものを

「ある」状態にするのは

「非常にエネルギーをつかうこと」だからです。

 

パートナーには

「ない」ものを

パートナーに求めている時点ですでに

「相手を間違えている」ことに

気が付かなくてはいけません。

 

相手を「受け入れる」のではなく

「変えよう」とする相手を

あなたは選びますか?

 

それは

「かけがえのない存在」を

見落とさないためにも必要な

「人を見る目」です。

 

かけがえのない存在を間違えないために

ぜひ、ご自身の目を磨かれてみてくださいね。