「体験」を「経験」することが「人間の醍醐味」

「いつか」あれをしてみたい。

 

という願いと

 

「これから」あれをするよ。

 

という願いがあるとします。

 

この願いには「違い」があります。

 

その違いは「速さ」です。

 

願いが「同じ」であっても

それを願う人によってこれだけの「差」が生じます。

 

 

「願い」を思い描くときに

「それらを願った理由」・「叶えたい理由」を並べてくる人がいます。

 

「願い」を思い描くときに

「好きだから」・「やってみたいから」

と直感を伝えてくる人がいます。

 

 

思い描く願いが「同じ」であっても

それを願う人によってこれだけの

「差」が生じます。

 

どちらがいい、わるい

どちらが正解・誤り

 

そういったものはありません。

 

ただ

「体験」を「経験」することが

「人間の醍醐味」というだけです。

 

体験は「身をもって経験すること」

経験は「したことがない状態から、

したことある状態になること」ですね。

 

「これをしてみたいな」と思うことは

「身をもって実際にやってみたい」

ということですから

 

ただ、ただ、その

「体験してみたいこと」を

素直に

「経験してみる」ということは

実はとても「シンプル」で

「簡単なこと」であったりします。

 

そして、何より

自然な流れですから

実は一番

理にかなった方法といえるかもしれません。

 

実際にやってみて、気に入ったり

喜びがあったりして

「とてもよかった」となれば

それがいつしか

「生きている楽しみ」に

なるかもしれませんよね。

 

ただ

現実的に「人間」として生きること

を約束してここにいる以上

「人間としていきるための約束」

があります。

 

「ルール」といっても良いかもしれません。

 

どんなに「やってみたいこと」

であっても

「ルールを守らない」のは

NGです。

 

どんなゲームでもそうですが

「ルールがあるから

そのゲームが成立する」わけです。

ルールを守らないと

「誰も一緒にあそんでくれなくなる」ので

そこだけは

「忘れないでいる」必要がありますね。

 

人間は

何か「してみたいこと」ができたとき

 

「実際にやってみたことの蓄積」

から答えを導き出す場合と

 

「実際にやってみる その結果」

から答えを導き出す場合があります。

 

これは

「願いが叶う速さ」にも関連してきます。

 

欲しい結果が

「すでにクリアした物事」の延長や

類似でしかないなら

「やらない」という結論にもなります。

 

しかし

「自分の前にきている課題」は

既にクリアしたはずの物事と

「よく似ていること」が

多いのも事実です。

 

「完全にクリアできていないから

再び形を変えてきている」

場合がほとんどと

いっても良いかもしれません。

 

それが自分の目の前に来た時

「この夢をクリアするために

今回どんなふうにこの夢を経験しようか」

と「直観をつかうこと」を

どうか忘れないで下さい。

 

問題や課題から

逃げることも、避けることも

「自由」です。

 

しかし、それは

引き換えに

得られるはずだった

「楽しみ」や「喜び」や

「感動」や「変化」

そして「成長」を

「体験しない」という

現実をつくり出します。

 

つまり

「体験」をしないと

「経験」ができないため

「現実は変わらない」

ということになりますね。

 

現実を生きるのに

過去の「経験や知識」

の範囲でだけ生きるのか

 

未来の「体験」を楽しみながら

範囲をひろげて生きるのか

 

どちらかしかありません。

 

ものすごく簡単なことを

ものすごく複雑、難解にして

逃げる理由をつくっているなら

それは、大変

「メンドクサイ」ことです。

 

ものすごく難しいことを

ものすごく簡単、明快にして

すすむ理由にできるなら

 

それは、大変

「カンタン」です。

 

 

実は

時間は、未来から過去へ流れています。

過去から未来へ流れてはいないのです。

 

ですから

流れに逆らっていることは

とても大変な事でもあるのです。

 

結果

同じ夢でも叶う速さが違いますし

差が出てしまうのは

当然といえます。

 

ただ、いつも、いつでも

どちらを選んでも

それはあなたの自由です。

 

あなたの人生ですものね。