「スピリチュアルで現実的」な友人との会話

私はいままで

 

「この人とは、何のわだかまりもなく本音で何でも話せる」

という人間関係を築くことが「大変苦手」でした。

 

しかし、今は、しあわせなことに

そういった人間関係の中に生きることができるようになりました。

 

友達、仲間、親友、家族、パートナーなど

分かり合える人とのつながりや存在

そういった人ができることを拒否したり拒絶したりしていると

当然のことながら

「わかりあえるひと」は現れません。

 

かつて、そういう「時」が自分自身にあり

経験してきたので、大変そのへんはよくわかります。

 

しかし、素直になってよーく自分に聞いてみると

実は

 

「大勢」でなくていいから

「本当にわかりあえる

友達、仲間、親友、家族、パートナーが欲しいと思っている」こと

に気が付いたことがありました。

 

ただ、自分には

「そういう人がいない」

自分の想いや伝えたいことは

「誰にもわからない」

という具合に

いじけて、周りをねたんで、ひねくれていただけだったのだなあと。

 

今は

わかってくださる方がいて

話ができる方がいて

そういう時間が持てることも、そういう環境に身を置けることも

しあわせなことだと感じています。

 

「わかってくれる人がわかってくれればいい」

という価値観もあります。

 

私が個人的に目指しているのは

「より、普遍的でわかりやすいことばや表現」です。

 

そこにいきついた理由は

目に見えない世界の話が

「みえないだけにわかりにくい」ため

自分自身が「とっても苦労してきたから」だと思います。

 

そんなことを話しながら思い出しつつ

つい昨夜、本音で話せる友人と

こんな話題でやりとりをしていました。

 

「結局のところ、人。」

 

「どんな商品や、モノを買うか。ではなく 誰から買うか」

 

なんですよね。と。

 

信頼のない人から、重要なものや、大切なもの

特に、それらにあたる「高額なもの」は購入しません。

 

自分の感覚で「この人」という人を見つけて

その人の提供するものを「購入検討」したとき

高額であればあるほど「信頼」が重要な鍵になるのではないでしょうか。

 

このお金を払うことと引き換えに、自分が手にするもの。

 

その「等価交換」のイメージが「ふさわしいもの」という判断がつかない場合

購入することは「あり得ない」と思います。

 

しかし

脅されたり、焦らせられたりして

「パニック」になっている時や、そのような状態にさせられている時

人は「判断を誤る」ことがあります。

 

そういう時、周りに

友達、仲間、親友、家族、パートナーがいるかいないかは

大きな違いをつくると思うのです。

 

パニックになっている時、焦って墓穴を掘ってしまったり

しなくてもいいことをわざわざしてしまったり

明らかにおかしなことをしていたりしても

自分ではなかなか気が付くことができないからです。

 

自分が「エネルギー」をかけようとしたり、与えようと

考えている相手が、責任をもって誠実に

あなたの望んでいる「等価交換」ができる相手なのか

客観的に見つめる目は、とても大切です。

 

比較、検討し、冷静に見た結果

等価交換するという判断に至れば問題は起きにくいのですが

 

目に見えない「スピリチュアル」に関することは

特に「慎重になる」ほうが「現実的」です。

 

スピリチュアルは「非常に正確」なことです。

「見えない法則」は

目には見えないだけで「法則」ですから「存在」しています。

 

「いつ、どこでも、一定の条件がそろえば成立する」ことを

忘れたり、見落としたりすることは

「現実的」ではありません。

 

目に見えないからこそ

「自分の心のこえには慎重になる必要がある」という

これは、当たり前のお話です。

 

そういうことがわかっていないと

簡単に「騙されてしまう」ことを忘れないで下さい。

 

自分が「等価交換しよう」としているものが

「ありのままの自分で生きる」

「家族やパートナーシップの健全化」

「自分の性の開花・解放」

などであったとしましょう。

 

それを「商品として売っている」その人の

「家族やパートナーは、本当にしあわせになっている」のか

「性の開花、解放が本当にされている」のか

そして

「本当に、ありのままで生きている」のか

 

 

「本当か確認する」ことが

本当のスピリチュアルへの第一歩ではないかと思います。