あたりまえが、あたりまえ。

最近、映画をよく観ます。

 

映画のシーンで、食事の前にお祈りをするところを

見かけたとき 「あ」と感じたことがあります。

 

「食事と水を与えてくださってありがとう」

 

感謝を

 

「食事を頂く前にまずしている」

 

ということ。

 

私には、ここが

「まったく見えていません」でした。

 

自分は今まで

何かを「してもらったとき」

何かを「もらったとき」

には必ず

 

「ありがとう」と感謝を述べていました。

 

しかし、何かを

「与えてくれよう」としている物事や人物に対して

 

「まず、先に、感謝をする」

という「習慣」がなかったことに気が付いたのです。

 

そして、この習慣は

気が付いていても、できないことであったりします。

 

「感謝」は「わかっていても、無理やりできないこと」だからです。

 

「ありがとう」

 

という言葉は

言われる時も、言う時も

「口先だけで、なんの気持ちもない」場合は

それが自分にも相手にも伝わります。

 

「ありがとう」という気持ちが湧いてこない

感じられないと、「感謝」は

実は「あたりまえには、なかなかできない」のです。

 

しかし、それを

いろんな場面で

「感謝しなくてはいけない」

「感謝ができない人間は悪い人間」

「感謝ができない人間は器の小さい人間」と

レッテルをはられてしまったり、陰口をいわれてしまったりと

 

「感謝しろ!」と

感謝を強要されるため

「してもいない感謝」や「したくもないのに感謝」が

できてしまったのだろうなと感じるのです。

 

それは、紛れもなく

「モノをもらったら、ありがとうって言うんだよ」という

 

「こういう教え方をされた結果」なのだろうなと思うのです。

 

お食事を頂く前に、まず 感謝ができること。

 

お食事をごちそうになったから、感謝ができること。

 

もちろん

「どちらがいい」「どちらが悪い」

という、お話ではありません。

 

 

あたりまえ。は

実はこんなにも「違う」

 

そんな価値観についてのお話でした。