目には見えない「誰にでもある課題」

先日パートナーと

「大規模に腹を割った意見交換」をしました。

 

物事を話し合うときに、いつも感じるのですが

一生懸命説明したり、伝えたり、話したりしていると

 

「あれ・・・結局ナニを結論として言いたかったんだっけ?」

という具合に

結論が「すっとんでしまう」ことがあります。

 

すると、その一生懸命話していたことが突然

「どうでもよくなったり」

「それで気が済んだり」

することがあります。

 

そういう時は不思議と

結論までたどりつかなくても

「声に出して、伝えたいことをつたえること」で

結構スッキリしていたりします。

 

ということは、恐らく

「それでいい」のだろうと。

 

今回「初めて」思ったのです。

 

今までは「結論」を重んじていましたし

話し合いをするからには「結果」を

というような部分が自分にあることにも気が付きました。

 

ただ

溜まっていたものを

言えずにいた想いを

外に出すことができれば

それでよかったのだと思ったのです。

 

そしてそれを

聞いてほしかっただけなのだと思ったのです。

 

人はそれぞれ「課題」といいますか

「自分がもっている生きているうちに経験したいこと」

もっといえば

「自分が生まれる前に、これをやるぞ。と決めてきていること」

があるのだといいます。

 

私の場合

想いを伝えること。が、「課題」だったとするなら

結論がでていなくても、課題はクリアされています。

 

しかし「課題をクリアできていること」に気が付かないと

「同じことを繰り返してしまう可能性」があります。

 

それがいけないわけではありませんが

「すでにできていること」を何度も繰り返すことに

時間を費やしているのに気づかないでいると

「タイムオーバー」になってしまうことがあるのです。

 

すると

他にしたかったこと。が

できずに「残ってしまう」ため

「心残り」となってしまい

「先にすすむこと」ができなくなってしまいます。

 

しかし、そこまでいくことが課題だったと気づけば

「心残り」ではなく

その場所は「ゴール」ということになります。

 

今回話し合ったことで

「そこ」に目を向けることができました。

 

人生には「制限時間」があります。

 

生まれてから、死んでしまうまで

同じだけの時間が与えられているわけではありません。

 

どう生きても

誰と生きても

泣いても笑っても

その方にしかないオリジナルの「一生」です。

 

自分は「こうしたかった」という想いが

声に出して、伝えたい人に伝えられていることに気づけば

いともたやすく、そこから先に道ができることもあるのだと

 

目からうろこの体験でした。