親が持ち出す謎の「ギブアンドテイク条項」とは

どなたにでも、必ず

「両親」がいます。

 

ご健在であってもなくても

ご面識があってもなくても

 

そうでなければ

「あなた」という人間は肉体をもって存在しません。

 

生まれたころは

「真っ白」で「何も書かれていなかったノート」に

育てた人の「教え」が記されていきます。

 

それは「言われた通りに」記されていきます。

 

育てた人の「言葉」や

育てた人の「表情」や

育てた人の「癖」や

育てた人の「行動」や

育てた人「そのもの」を

正確に「コピー」します。

 

ですから

親にとって

「子供から言われる言葉が一番きつい」

のです。

 

理由は

「親自身が一番醜い、嫌だと思っている部分」

を「子供は見ていて、知っている」ため

 

子供を通じて

「一番嫌いな自分を見る」からです。

 

子供は、生まれてからずっと

「見てきたこと」

「言われてきたこと」

「されてきたこと」を

「正確にコピー」して

自分自身のデータベースに保存しています。

 

子供は成長し

TPOにより

そのデータベースの情報を

「必要な時に必要な場所で使い分ける」

ことになります。

 

うわべだけではカバーのしきれない

「育ち」がでてしまうのは

こういったところからでしょうね。

 

ちなみに

親子喧嘩は、親からすると

「一番腹の立つ相手」と喧嘩をしている状態

なのだそうです。

 

親自身が、自覚をしている

自分の「嫌なところ」

自分の「最悪なところ」

自分の「偽っているところ」

自分の「弱み」

自分の「ダメなところ」

自分の「できていないところ」

 

「それらを言葉に出して言われる」ため

非常に

「感情的」になりますし

「逆切れ」をしますし

「言ってることがメチャクチャ」です。

 

そして、しまいには

「親に向かってその態度はなんだ!」

「親に向かってそのクチの利き方はなんだ!」

「一体今まで、誰のおかげで大きくなったと思ってるんだ!」

「おまえは何もわかっていない!」

「お前に親の気持ちがわかってたまるか!」

 

といった

「お決まりのフレーズ」が飛び出してくるわけです。

 

子供は、親のコピーを持っていますから

「口で親が子供に勝てるはず」がありません。

 

ですから

「今まで世話してやっただろう!」

「お前は親に恩があるだろう!」

という

 

謎のギブアンドテイク条項

 

を突然提示してくるわけです。

 

そこで必ず子供が感じる事は

 

「いや・・頼んでないし・・・」

「恩着せがましい・・・」

 

こんなところでしょうか。

 

とにかく

「話をする気が失せる」のです。

 

なぜかというと

「全く話が通じない」ため

会話をする「気力」がなくなるからです。

 

親は、そうやって

小さい時から子供の

「気」を奪って「コントロール」しています。

 

親が不機嫌だったり、怒ったり、怒鳴ったりすると

子供は親に対して「気遣い」をします。

顔色をうかがい

機嫌を取り

心配し、必死に、健気に

「嫌われないように」振る舞います。

 

そして、疲弊していくのです。

 

ちいさな子供に

大の大人が

「気を遣わせる」のです。

 

小さな子供は、大好きな親を

「よろこばせるため」に

必死に考えて、必死に気を遣うのです。

 

理由は

「親だから」という「たったそれだけ」です。

 

親が子供の「気」

エネルギーを「奪う」のです。

 

繰り返されれば

当然ですが、エネルギーは「なくなり」ますよね。

 

ですから、いろんな「よくない」ことが起き始めるのです。

 

他人同士の間柄では

「あり得ないこと」ですが

なぜか

「親子同士」では

この「異様な不健全な関係性が成立してしまう」のです。

 

ですから親は、最終的に

「一人の人間同士」としての会話が成立しなくなると

「権威」をふりかざし始めるのです。

 

ずっと幼いときから繰り返してきた

「脅し」をかけて「またエネルギーを奪う」のです。

 

それが「無視」だったり「怒鳴ること」だったり

「暴力を振るうこと」だったり

その親の持っている「心の闇」ごとに

表現は異なります。

 

ただ、一つだけ言えることは

その「心の闇」までも

親から子供に

「正確にコピーされている」という事実です。

 

「うまくいかない原因」は

「心の闇」に自分自身で「向き合うこと」

から始まります。

 

周りのどこを探しても

どんなセッションを受けても

どんな研修を受けても

 

「自分自身の心の闇」の中にしか

「自分自身の真実」は ないからです。

 

親は

「子供に批判されたり、文句を言われる事が一番いや」

ですし

「子供に責められる事が、一番つらい」

ですし

「子供に無視をされることが、一番悲しい」

ですし

「子供が自分より先になくなってしまうことは

自分が死ぬより最悪なこと」

です。

 

しかし、それは

 

「子供も同じ」です。

 

正確なコピーは

こういったところにも顕在化しています。

 

あなたの「こころ」が出来上がったルーツを探してください。

 

しあわせはその先にあります。

 

最愛のパートナーは「親を超える人物」

 

抑圧されているように感じる

言いたいことが言えない

どこかにいつも恐怖心がある

対人関係がうまくいかない

何をしていても楽しくない

恋愛が思うように発展しない

理想のパートナーが見つからない

 

などなど・・・

 

考えないようにしていても

「いつもあたまのどこかに引っかかっている」

ような

 

「不安」

「不満」

「気がかり」

 

この

「いつも心にかかえているものの正体は何か」

 考えてみたことはありますでしょうか?

 

「うまくいかない要因」

 

は、ここに隠されていることが非常に多く

ほとんどがそこにある。と言っても

過言ではないかもしれません。

 

さて、ここで質問です。

 

「あなたは、誰ですか?」

 

「あなたは、誰の子どもですか?」

 

そして

あなたが、女性の場合

「あなたの、お父さんはどんな男性ですか?」

 

あなたが、男性の場合

「あなたの、お母さんはどんな女性ですか?」

 

結びに

 

あなたが、女性の場合

「あなたの理想の男性は どんな男性ですか?」

 

あなたが、男性の場合

「あなたの理想の女性は どんな女性ですか?」

 

これは、実際に書き出してみるとよろしいかもしれません。

 

頭の中で考えていることを

書き出してみると

「目で見る」ことにより

「みえてくる」ことがあるからです。

 

 そして

 

「不安」

「不満」

「気がかり」

 

について

感じていることを書き出してみます。

 

勘のいい方は、既にお感じかもしれませんね。

 

あなたをつくったのは「あなたの両親」です。

 

あなたの「思考」や

あなたの「癖」は

両親があなたに「与えたもの」です。

 

あなたの「恐怖心」や

あなたの「自尊心の低さ」といった

あなたの「不安」は

両親があなたに「教えたもの」です。

 

あなたの「夢」や

あなたの「職業」は

両親があなたに「選択肢」として提示してきたものです。

 

つまり

 

「あなた」

 

という人間の持つ人格は

 

「あなたの両親がつくりあげた人格」なのです。

 

しかし、あなた自身は

様々な経験をして、肉体は大人になりました。

 

でも、大人になるまでの過程に

何らかの事情で

「まだ足りないこと」がありました。

 

その不足感が、現在のあなたに

「不安」

「不満」

「気がかり」

を与え続けてることがほとんどであったりします。

 

現在のパートナーに不足感を感じる方は

その「不足感」の中に「足りないと感じるもの」が

埋まっています。

 

しかしそれは

「あなたのパートナーに求めるべきもの」ではありません。

 

その「不足感」を求めるべき相手は

 

あなたの「両親」だからです。

 

あなたが女性なら「父親」から

あなたが男性なら「母親」から

 

「欲しかったのにもらえなかったもの」

があるのです。

 

そこに「気づく」ことが必要な時にきている

ということなのです。

 

その部分と向き合わずに

無視をし続けてきてしまったために

「我慢」や

「抑圧」が癖になってしまっているのです。

 

あなたのパートナーは

あなたの傷を「一時的に」癒すことは出来ても

残念ながら「治すこと」は出来ません。

 

あなたを傷つけた人物

つまり

「あなたの両親」にしか

あなたの傷は治せないからです。

 

この事実を受け入れる事が

実はとてもつらく大変なことかもしれません。

 

しかし、その先に

 

「愛に満ち溢れたパートナーシップと対人関係」

 

が待っていることだけは確かです。

 

どうか、がんばってください。

 

応援しています。

 

セックスをしているところを目撃

つい今朝のお話です。

 

パートナーが

他の女性と目の前でセックスしている姿を

 

「夢で」見ました。

 

夢でしたが、それはそれは衝撃的でした。

 

パートナーに、夢占いで検索してもらったところ

「彼のセックスに対する変態的願望の顕れ」

という説明があったそうです。

 

顔を見合わせて

「そんなの当然だよね。でも顕れって・・・

別に隠してないもんね」

 

と笑いました( *´艸`)

 

それで、思ったのですが

 

私は実際に

他人がセックスしている姿を

「肉眼」で見たことはありません。

 

正直、夢でも、これだけ衝撃的なわけですから

実際に「見たことがある方」は

相当な衝撃を受けたのではないだろうか・・・

と感じます。

 

それが、両親である場合

それが、パートナーである場合

 

シチュエーションは様々ですが

場合によっては

「見えないトラウマ」になる可能性は

充分ありえるだろうなと思いました。

 

今現在、他人のセックスを見ようと思えば

映画を見るような感覚で

ジャンルや出演者を検索して

好みの「映像」を鑑賞することが出来ます。

 

「映像を観よう」と

こころの準備をした状態で見るわけです。

 

しかし

 

突然、何のこころの準備もなしに

見てしまった。という場合

 

「こころに傷がついたことも認識できない可能性」

 

があります。

 

特にセックスに関しましては

カップル同士が二人で楽しむ行為であって

「他人に見せるもの」

ではありません。

 

しかし、なぜか

「他人がどうしているのか見たくなるもの」

なのかもしれませんね。

 

アダルトビデオの本数や、ジャンルの多さが

その欲の高さや多さを物語っている気がします。

 

ただ、いつも思うのです。

 

アダルトビデオで鑑賞しているセックスを

自分のパートナーと出来れば

いいのではないかと。

 

セックスに「タブー」があると

必ずどこかに「抑圧」が隠れているものです。

 

それはパートナーとの「関係性」にも

必ず影響してきます。

 

結局は

 

「自分は、本当はこんなセックスがしたい」

 

でも・・・

「こんなこと言ったら嫌われてしまう」

「こんなこと言ったら軽蔑されてしまう」

「こんなこと言ったら淫乱だと思われてしまう」

 

から

「本当のことが言えない」

 

わけです。

 

セックスは他人に見せるものではありませんし

評価をされたり、批評をされたり、

批判をされるものではありません。

 

セックスするパートナー同士が

合意の元で、お互いのしたいセックスをすることが

一番幸せなこと。だと私は感じています。

 

独りよがりに

「自分だけがしたいセックス」を

パートナーに押し付けるから

「嫌がられる」のです。

 

自分勝手に

「自分が気持ちよくなることだけを追求したセックス」

をパートナーに強要するから

「二度としたくなくなる」のです。

 

なんでもそうだと思いますが

「楽しくない事」は「続かない」のですよね。

 

「我慢して無理やりする事」ほど

屈辱的で、嫌悪感が増大し

自己価値の下がることはありません。

 

そんなセックスをパートナーに

「させないと誓うこと」

 

そして

そんなセックスを自分が

「しないと自分に誓うこと」

 

それが

 

自分のしたいセックスを

「理解し、受け入れてくれる」パートナーに

めぐり合うための

大切な「条件」と言えるのかもしれませんね

 

何をするためにうまれてきたのか

私は、自分自身の「生まれた星」を知っています。

 

惑星は、言わずと知れた

「地球」で

星は、いわゆる「生まれた月にある星」

ですね。

 

今は、血液型同様

珍しくもなんともなく

誰でも普通に知っていること

かもしれません。

 

自分の星座は

星座占い等で、簡単に知ることができます。

 

自分が「どんな星の配置」

の瞬間にうまれてきたのか。

 

その星の配置図

ホロスコープ

 

生まれた瞬間の宇宙の配置図

といいましょうか。

 

その瞬間を

「目に見えるもの」に

「図面化」し「可視化」していただいて

「客観的」に

見せていただいた事があります。

 

こういった商品は、現在

「知識と興味と学習」で

ある程度、どなたでも習得が可能な状況になってきていると思います。

 

そのため、私は

「目には見えない、本当に大事なことが見え、言葉と感覚の通じる方」

に「通訳」をお願いする大切さを

感じています。

 

それは

 

お金と時間が無駄になる。

可能性があるからです。

 

特別なチカラなどがなくとも

「知識と興味と学習」で

こういった物事は

教材や計算式を用いれば

「ある程度誰にでも出来てしまう」

ため

 

「恋愛」「相性」「悩み相談」といった

 

「顕在化しているひとつの問題解決」

のために、方向性を見出すという意味で

「占い」の要素を強く要望している場合は

構わないと思うのですが

 

見えないものを見る

自分を知る

 

という「課題」がある場合

「星占い」や「趣味の占い」

「職業占い師」

では、情報が足りなすぎるのです。

 

見えないものを見る力や

繋がる力のない人が

「それっぽく」やっていることを

鵜呑みにしたり、信じきるのは

「危険」なことがあります。

 

わかっていて、選んでいるならいいのです。

 

しかし、わかっていないと

「間違える可能性がある」ということを

忘れないでください。

 

私は

いろいろご相談する方を探していた時

お仕事で

先般、御祭でご一緒した旦那様にお会いすることになります。

 

その「可視化された自分」について

いろいろとご説明を受けましたが

 

「そうそう!私、そうなんですよ!

よくわかりますね!すごぉーい!!」

とは

 

「なりませんでした」ね。

 

どこまで行っても

「俯瞰すること」だけでした。

 

俯瞰することが出来たのは

旦那様の「意図」に

お客さんとしてリピートさせよう。という

「マインドコントロール」が

「ない」からだとわかりました。

 

それがよかったのだと思います。

 

そもそも

ホロスコープ」を

「つくっていただくこと」

「目的」ではありませんでした。

 

しかし

説明の為に

「可視化」された図面は

自分を知りながら客観視するために

有効だったと感じます。

 

女性は

・結婚運

・恋愛運

・健康運

・家庭運

・相性運

・仕事運

 

子どもは何人できるか

結婚はできるか

いつ、素敵な人に出会えるか

迷っているのだけど、どちらを選べばいいか

 

こういったご質問やお悩みが大多数ではないでしょうか。

 

私も、そういうこと。が気になる時期はありました。

 

当時のセッションで

「女性は結婚して出産しなければ一人前ではない」

という「固定概念」を持っていることに気づくきっかけを

頂いた気がしています。

 

そこに私の「課題」があったからですね。

 

「サラリーマンが向かない理由」も

「平等さ、対等さを重んじる理由」も

「バランスの崩れている人が直観的にわかる理由」も

「何をどうすればバランスが整うのか直観的にわかる理由」も

 

今思えば

すべての

「問題」が「課題」そのものでした。

 

「自分の名前」の持つ「本当の意味」を

旦那様に

ご説明いただけた事にも

理由があったと思います。

 

私の名前漢字は

 

「人々の、奥底にある本音を言わせてあげられる」

 

「本当のその人を引き出させることができる」

 

という意味を持っている。

のだそうです。

 

どのみち「本当の自分」でしか

人は生きることが出来ません。

 

過去の悩み続けた自分と同じように

「何をするために生まれてきたのか」

探している方のために

記事を書くことを続けています。

 

かけがえのない存在を「見落とす」人たち

家族やパートナーに限らず

 

「他人をどうにかしようとする癖」

 

をお持ちの方は、少なくないのだなぁと感じます。

 

「やさしくしてくれない」

「話を聞いてくれない」

「気遣ってくれない」

 

などなど

 

ない・ない・ないの ないない尽くしです。

物質的なモノを求めるのではなく

「目には見えないけど、必要な大切なモノ」

を求めるうえで起きる

「不足感」が

満たされない思い➡「不満」となっています。

 

それは

「ふとした時に感じた、ちょっとした不満」の

「積み重ね」

がもとになっているケースが少なくないようです。

 

しかし

その根底にある

「原因」となっている物事に

目を向ける人は多くありません。

 

そのため

「不満を感じる人」は

「不満を解消できない」という現象が起きます。

 

不満の数が、増えれば増えるほど

「イライラ」がつのります。

 

そのイライラを隠そうとして、出さないようにしようとして

無理して「抑制」すると

事態は非常に「込み入って」きます。

 

溜まったものは、入れ物の「許容量」を超えれば

当然ですが

「壊れる」か

「破れる」か

「裂ける」か

「爆発する」か

 

「器」が崩壊するという結末が待っているということになります。

 

その「器」は自分自身にある

「目には見えないモノ」です。

 

通常、人は「自分を守り」ます。

 

自分の「器」が

何者かによって「破壊」されそうになれば

「防御」します。

 

それが

「他人をどうにかしようとする癖」

として「顕在化」していると考えると

どんな感じがするでしょうか?

 

「足りない」という感覚は

人を「攻撃」する「もと」になり得ます。

 

それを言葉にしてはっきりと

相手にわかるように

「伝えることが出来る方」は

それほど「もと」は「溜まらない」と思います。

 

しかし

「伝えることが出来ない方」は

「相手を変える事」にエネルギーを注ぎ始めます。

 

それは

「こうしたらいいよ」

「ああしてみたらいいよ」

 

といった言葉として表現されることが

少なくありません。

 

「アドバイス」ですとか

「助言」といった類のものとして言葉に現れてきます。

 

これは、そうやって少しずつ

「自分の思考、自分の思想、自分の好み」に

「相手を誘導していく」

という方法なのです。

 

アドバイスそのものに

「全く意図がない」という前提ならば

 

自分の価値観などと照らし合わせて

「あ、それって、いいな!」と

感じれば、強制されなくとも

「やってみよう」という気になるでしょう。

 

しかし、アドバイス

 

「明らかな意図」

もしくは

「無意識にコントロールしよう」

という

「目には見えないモノ」を感じると

人は必ず「拒否反応」を起こします。

 

結果

「いくら言っても聞かない」という現象が起きます。

 

それは

「笑顔で優しく、チカラづくで言うことを聞かせよう

としている状態」ということですね。

 

それは、コミュニケーションではありません。

 

ただの「おしつけ」です。

 

大切なのは

「何が不満なのか」を自分に問うことです。

 

そして、それを

「不満を感じる相手」に「わかる言葉で伝える事」です。

 

それが、成熟した大人のコミュニケーションです。

 

あれが足りない、これが足りない

と言って騒いでいますが

それはつまり

 

「騒いでいる本人に、騒いでいるモノが足りていないだけ」

なのですよね。

 

しかし、なぜかそれを

「相手のせい」にしてしまうのです。

 

「自分が欲しい何か」が

自分のパートナーには「ない」ならば

「自分の欲しい何か」を「持っている人」を

パートナーにしたほうがはやいです。

 

「ない」ものを

「ある」状態にするのは

「非常にエネルギーをつかうこと」だからです。

 

パートナーには

「ない」ものを

パートナーに求めている時点ですでに

「相手を間違えている」ことに

気が付かなくてはいけません。

 

相手を「受け入れる」のではなく

「変えよう」とする相手を

あなたは選びますか?

 

それは

「かけがえのない存在」を

見落とさないためにも必要な

「人を見る目」です。

 

かけがえのない存在を間違えないために

ぜひ、ご自身の目を磨かれてみてくださいね。

借りたら、返す。

先日、成田空港に向かう途中で

 

「あ・・・そういえば、アレ返してもらってない」

 

とパートナーが言いました。

 

以前に仕事で

ある女性に頼まれて

ボードゲーム」を3つほど貸したままにしていたことを

思い出したようなのです。

 

パートナーがその女性に

ボードゲームを貸したのは

「1年と6か月前」

 

ボードゲーム

「一台 20,000円」

 

つまり、その女性は

1年と6か月という間、60,000円という金額と同等のものを

「他人から借りたままにしていた」

ということになります。

 

これは

ボードゲームを貸し借りした」という「表向き」ですが

お金が「別の物質」に「姿を変えた」だけで

「金銭の貸し借り」と「同じこと」でもあります。

 

パートナーは、思い出した瞬間に

すぐ、その女性に連絡をして返却を求めます。

 

その際

「あなたに貸しているものを、いつ返していただけますか?」

という尋ね方ではなく

「自分のほうが、ボードゲームを貸したことを忘れていました」

という「表現」をしていました。

 

しかし、実際は

頼まれて好意で貸し出しをしてあげていた。

わけです。

 

女性からの返信内容は

 

「あ!そうですね!すみません!

すっかり忘れてました!すぐ手配します!」

 

その内容に

「目が点」になったことは

いうまでもありません。

 

そして、現在までも

「ご自宅宛てに配送しました」

というご連絡は入ってきておりません。。。。。

 

この女性、以前

数人の方と仕事で「飲み会」を開催した際

持ち合わせがなく

パートナーが「お金」を立て替えていました。

 

そういったことが「2回」ありました。

 

いずれも、貸したお金が戻ってくるまでに

 

「半年以上」

 

かかっているそうです。

 

パートナー曰く

 

「癖なんだよ」

 

「ちょっと、感覚が普通じゃないんだろうね」

 

「そういうひと。なんだろうね」

 

と。

 

ちなみに、この女性は

以前記事に書かせていただいた

「スピリチュアルに傾きすぎている女性」

と同じ女性です。

 

表向きは

「自分の魂とつながって・・・」

「しあわせのために・・・」

ハイヤーセルフが・・・」

「私の直観では・・・」

 

といった

「スピリチュアルまがい」の言葉を並べて

「何もかもわかっている、善人であるかのような発言」

をされます。

 

しかし、実は

 

・借りたものをすぐ返せない

・時間を奪う

・借金癖がある

・いい加減

・忘れっぽい

・無責任

・不誠実

 

といった

「自己中心的な面」を

持たれてることがよくわかります。

 

これらは

「スピリチュアル云々」

ではありません。

 

もっと単純で、簡単なお話なのですが

この女性には、その

「基本的な単純なこと」が

物事の基礎として「存在していないこと」

がわかります。

 

「借りたら、すぐ返す」

という

 

小学生でも知っている

普遍的で

人間として当たり前のことが

「ない」ということは

 

結果的に「信頼」を失ってしまいます。

 

しかし、信頼を「得たい」方は

こんなことはしない。わけです。

 

 

「だらしない」のです。

 

 

こういった女性は

自身では自覚がありません。

 

そして、誰も

「突っ込みはしません」ので

下手をすれば

一生気づきません。

 

お子さんがふたりもいらっしゃる

女性だそうです。

 

子どもは親のしていることを

ちゃんと真似します。

 

親の無意識、無自覚も

コピーして成長します。

 

おかしな「癖」を

子どもにつけないように

したいものですね。

ほんとうの「クリスマスギフト」

「初めて〇〇した日」

「付き合った記念日」

「結婚記念日」

「お誕生日」

「年間のカップル行事」

 

こういった「記念日」に何かをする

という「イベント」に

パートナーは、一切興味がありません。

 

ですので、お互いの誕生日であっても

「おめでとう」

「ありがとう」

と言い合うことをしますが

何か品物を買ってプレゼントをしあうという習慣はありません。

 

私の誕生日は

「たまたま」パートナーの知人のシェフから

ディナーチケットを頂いていたため

ふたりでお食事に行ってきました。

 

パートナーの誕生日は

彼が好きなメニューを

私がすべてつくりました。

 

お金をかける

時間をかける

 

ということは

見方や方法を

「ほんの少し」変えるだけで

全く違う価値をつくりだしてくれます。

 

中でも、何よりも大切なことは

「こころを込める」ということに尽きるのではないでしょうか。

 

口で言うのは非常に簡単なことですが

この「一番大切なところ」が置き去りにされてしまうと

どんな高価なものをやりとりしても

その満足感は、すぐに消え去ると思います。

 

お料理だけではなく

「こころ」がそこに「あるかどうか」で

人は「必要なことを感じ取る」のだと思います。

 

「こころ」のないものに

何かを感じるということは「難しい」こと

 

ですから

 

こころのこもっていない物事に

感動は生まれにくいといえるのかもしれませんね。

 

私のパートナーは「お料理」が得意です。

とても器用に、いろいろなメニューをつくってくれます。

 

私もパートナーも

「ふたりで一緒にお料理をつくること」が何よりも好きです。

 

先日、二人で

朝、恒例のお散歩をしている途中

フライドチキンが有名なお店の前を通りました。

 

何気なく

「クリスマスに、久しぶりにこういうチキン食べたいねぇ」と

言うと

 

パートナーの目が・・・キラキラキラリン°˖✧°˖✧◝✧˖°

 

「今年は、チキンを仕込んでウチで焼こう!」

 

ということになります。

 

そして先日

有名なケーキ屋さんに立ち寄った際

クリスマスケーキの案内を見て

 

パートナーの目が・・˖✧°˖✧◝✧˖°

 

「今年はブッシュドノエルつくろう!」

 

というわけで

今年の我が家に

また「一緒にお料理する楽しみ」が増えました。

 

お料理を実際につくるのは

「これから」です。

 

しかし、私たちは

 

一か月後という「近い未来」に

 

「一緒に、ブッシュドノエルやチキンをお料理する」という

 

「うれしくて、たのしくて、最高な世界」を

 

ふたりでつくりだしました。

 

それを、クリスマスの日につくろうね。と

 

「約束」したわけです。

 

私たちにとっては、これが

「クリスマスプレゼント、何が欲しい?」

という確認ですね。

 

そして、実際、当日に

一緒にお料理を作って、一緒にお料理を頂いて

「おいしいね」

「うれしいね」

「どうもありがとう」

 

ということが

「予測できる」わけです。

 

つまり

「プレゼント」を送った時の

パートナーの反応や、喜びを

「今から」感じることが出来るということです。

 

毎日、その「しあわせ」を

感じながら生きることが出来るということです。

 

これは、どんな品物を頂くよりも

私達にとっては

「意味のある」プレゼントなのです。

 

お互いに、お互いの

「ハッピー」を贈りあえる。

 

素晴らしい「ギフト」を

今年のクリスマスに感謝いたします。

 

ありがとうございます。