セックスに満足できていない方への処方箋

「セックスに満足できていない」場合の処方といたしまして

 

①自分がどんなセックスが好きかを知ること

 

②パートナーはどんなセックスが好きかを知ること

 

③それぞれの好きなセックスを、話し合うこと

 

④それぞれの好きなセックスを、実際にしてみること

 

⑤どうだった?と

必ず感想を確認しあうこと

 

されてみれば

自ずと答えは見えてくると思うのです。

 

お互いに、しあわせで、満たされていて、楽しいセックスであったなら、進化してゆくでしょうし、そうでないなら

「もう、しない」でしょうし。

 

何れにしても 

「お互いに我慢がなくなる」ことは確かです。

 

ただし

この方法は

「真実」や「事実」を

「見たくない」

「知りたくない」

方には「不向き」なため

やらないほうがよろしいと思います。

 

 

 

極論ですが

「性の不一致」は

「性格の不一致」ともいえるからです。

 

性=さが

の 

不一致=あわない

 

ですから 

 

つまり

セックスがあわない 

わけですから。

 

それぞれがしたいセックス

それぞれに似合うセックスが

「違う」ということです。

 

それを見たくない方

それを認めたくない方

それを知りたくない方には

この処方は向いていません。

 

ひとのセックスを笑うな という映画

 

原作は小説で

2008年に映画化された作品です。

 

この

「タイトルの素晴らしさ」

にひかれて映画を観ました。

 

作品紹介は割愛させていただきますが

 

「本当にこの言葉のとおり」

だと感じています。

 

セックスには

「いい」も「わるい」も

「ありません」し

 

「ただしい」も

「まちがっている」も

「ありません」

 

ただ

パートナーと自分とが

「楽しく、しあわせで、満たされている」ならば

 

人にどうこう言われようとも

気にすることなどないと思うのです。

 

昨今

セックスに対する価値観や

セックスについての話を

「女性でも」公にできる

チャンスが大変増加しています。

 

これにより

「自分のセックス」を語る場所

ができた反面で

「他者のセックス」を耳にする場所

ができました。

 

そもそもセックスは

人に見せたり、人から見てもらったりすることは、通常なく

「客観的に批評されること」

つまり

「誰かに確認してもらうこと」が、できにくいこと。です。

 

ですから

「自分のセックスに自信がない」

 

「自分自身に自信がない」と

 

どうしても

 

セックスに関連するビジネスや

 

性を開花するビジネス

という

 

テクニックや

マニュアルを扱う類いのものに流されやすくなってしまうのだろうなと感じています。

 

実際に

性やセックスを語る場所があることや、それらが増えてきたことは

よいことだと感じています。

 

しかし

それにより

また「不安」を感じ、抱えている方がいることも事実です。

 

自分に自信がない

 

セックスに不安がある

 

ただの欲求不満

 

これらは、すべて「違い」ますが

通常

「全部一緒」にされてしまうのです。

 

テクニックやマニュアルで

「本当にしたいセックス」が叶うことも、あるでしょうが

 

そうでないかたもいらっしゃいます。

 

ですから、どうか 

性を語る場所は

「ご自分に相応しい場所」を

選択されて下さい。

してみると、わかります。

 

女性が、オナニーをするようになると

 

男性のオナニーに対して

「寛容」になります。

 

好きな男性の部屋に遊びに行った際に、AVが出てくる。若しくは、隠されている。ということは「普通」にあるのですが

 

これを発見すると女性は

 

「キモーイ」

「えー なにこれ」

「信じられない」

 

といったような

「蔑む」ような

「否定」するような

「拒絶」するような

 

態度をしてしまうことが

実際、少なくないそうです。

 

しかし

これは

 

「彼女が彼氏にやらないほうがいい」こと

の上位にランクインします。

 

彼女が

「自分以外の女性の裸を見てほしくない」と

「かわいくすねる」ならば

(数回までなら)まだ宜しいでしょうが

 

「キモーイ」

「えー なにこれ」

「信じられない」

という

 

「否定するような発言」は

 

「最悪のコミュニケーション」といえます。

 

AVのシリーズや、バリエーションは、数限りなく存在します。

 

確かに、中には

「女性からしてみたらキツイ」内容のものも、なくはないと思います。

 

しかし、そのバリエーションの分だけ

「需要がある」わけで

 

要するに

「見たい」

「欲しい」

という人がいるから存在するわけです。

 

しかも、趣味、趣向は

皆々様「違い」ます。

 

それを

「否定」や「拒否」をするのは簡単なこと。

 

とかく

「性」や「セックス」を

「パートナーまかせ」にしている人に多い傾向といえるかもしれません。

 

しかし

「性」や「セックス」を

自分ごと。にしている人は

「なぜ、こういうのが好きなんだろう?」と

「知ろう」とします。

 

その「差」は

後に大きな「違い」をつくります。

 

自分でオナニーが

できる人は、セックスが自分ごとです。

 

どんなシチュエーションや

どんなプレイが好みか

わかっている人は

 

「人がどんなオカズでオナニーしていようと、うるさく言わない」ですから。

 

だって

パートナーが

好きな映画や、好きな本を

拒否したり、否定したりしますか?

 

結局

「ものがちがうだけ」で

同じことなのですよね。

 

価値観の否定や拒否。

 

知らないうちに

結構やってるシリーズでした。

 

女性は、オナニーを 「したほうがいい?」 「しないほうがいい?」

今回は、結論から申しあげます。

 

「するほうがいい」

 

と、love markは思います。

 

しかし、

 

しないと不幸になります。

しないとセックスはうまくなりません。

しないと女性性は開花されません。

 

といったような

マインドコントロールのようなものをかけたいからではありません。

 

ただ、単純なお話です。

 

「あなたは、自分のからだが好きですか?」

 

好きならば、

自分で自分のからだを

「見る」習慣があると思います。

 

身体をみせる職業をしている方が

からだを鍛えたり

毎日、鏡で自分の姿をチェックしたり

プロにケアをお願いしたり

自分で自分の「からだ」を大切にし

磨いて、自分でも自分のからだにきちんと触れているものです。

 

自分のからだを

大切に扱い、大切にしていると

自分のからだに必要なものが

「わかる」ようになってきます。

 

その「自分自身のケア」に

「オナニー」をリストアップするほうがいい。

というのが、私の考えです。

 

自分のからだのどこに

「きもちがよくなるスイッチ」があるかを

「知っていれば」

 

セックスを共に楽しみたいという

最愛のパートナーがあらわれた時に 

「そのスイッチの場所を教えてあげられる」からです。

 

しかし、その「スイッチ」がある場所を

見つけない場合

知らないままになってしまいますよね。

 

そして、

たまたまセックスした

好きでもなんでもない男性に

たまたま、そのスイッチを

「触られた」りすると

気づいてしまいますから

 

「開花」し

「目覚め」ます。

 

なぜか

女性は、その男性を

「好きだ」とか

「運命のひとだ」とか

「勘違い」してしまう傾向が「非常に強い」のです。

 

スイッチを見つけた男性。なだけですが

「好き」だと「自動変換」してしまうのです。

 

当然、男性には

「つきあう気などあるはずがなく」

 

からだの関係からスタートすると

「大切にされにくい」

「本命にされにくい」のは

こういった

「不思議な女性の思い込み癖」も含んでいます。

 

ですから

「自分で自分を知る」

という意味で

リストアップの順位は

たかいほうがよろしいと思います。

 

「私、オナニーしてます!」と

世間に宣言する必要などありません。

 

自分が、自分のために

「わかっていてあげれば」

それでいいと思うのです。

 

あなたに、もし 

大好きなひとがいたとして 

 

あなたのことを、そのひとが

たくさん知ってくれて

深く理解してくれていて

受け入れてくれていて

「こころもからだも大切にしてくれたら」

とても、しあわせではないでしょうか?

 

ですから、まず

あなた自身が、あなたのからだを

「しあわせにしてあげる」のです。

 

あなたのことを、

あなた自身が

たくさん知って

深く理解して

なにもかも受け入れて

 

「こころもからだも大切にして」

 

あなたが、あなたと

「セックス」をするのです。

 

それは、とても意味があり

とても、大切なことだと

私は感じています。

 

「いいセックス」と「わるいセックス」

 

この「違い」

わかりますでしょうか。

 

いいセックス、は

「またしたいなぁ」

「きもちよかったなぁ」

「満足したなぁ」

 

という感覚や

 

「楽しかった」

「嬉かった」

「しあわせだった」

 

という感情が

感じられる

 

いわゆる

「感動」があるセックス

 

そしてその「感動」を 

パートナーと「共有できる」ということ。

 

そこまでできて初めて

「セックス」は

「コミュニケーション」になります。

 

一方

わるいセックス、は

「もうしたくないなぁ」

「全然きもちよくないなぁ」

「不満だなぁ」

 

という感覚や

 

「つまらない」

「不快」

「大切にされていない」

 

という感情が

誘発される

 

いわゆる

「噛み合わない」セックス

 

そしてその「ズレ」を 

パートナーと「共有できない」ということ。

 

不満は、不安を呼び

不安は、我慢を呼びよせます。 

 

すると

「セックス」は

「苦痛」になります。

 

こうなると、

わざわざ

「時間」と「労力」をかけて

「セックスをする」ことは

ただの「苦痛」になりますので、自然と

「しなくなる」

いわゆる

セックスレス」の状態ができあがります。

 

ですから、

セックスレス」で悩む方は「関係がうまくいってたころ」に戻って思い出してみるといいと思います。

 

その頃と、今と、

「なにが、どう、違うのか」

 

分かるのは自分だけなのですから。

オナニーとセックスの「違い」

 

簡単に表現をさせていただきたいので

 

オナニー➡ひとりでする

 

セックス➡ふたりでする

 

という

「ここでのご説明の前提」をまずお伝えさせてくださいね。

 

オナニーは

「自分で自分をきもちよくさせてあげること」をします。

 

恐らく

学校で性教育を受講するより早く

こどもたちは

この部分に

「目覚めて」

います。

 

男性は、100%に近い方が

経験していると思います。

 

男性に限らず、女性でも

「目覚め」はきます。

 

あとは

「する」か「しないか」です。

 

そして

「した」か「しなかったか」です。

 

やり方を教わらなくても

「みんな、本当は、やり方を知っている」ので

 

皆々様、それぞれが

 

「本当は、ちゃんと自分で自分のからだのどこがきもちよくなるポイントか」を

 

「知っている」

のです。

 

誰かに教えて貰わなくても

「ちゃんと、自分でできる」のです。

 

しかし

「自分のセックス」や、

「自分自身」に

「自信がない」と

 

いわゆる

プロや経験者から

「正しい方法」を「買う」のです。

 

ひとつ、例にあげるとするならば

 

「お金を払って他人にオナニーを教えて貰う」という

 

「行動」に出たりします。

 

恐らくですが、、

 

男性の場合

オナニーを

「お金を払って他人から教えてもらう」ということは

 

「まず、あり得ない」

と思います。

 

しかし

女性の場合

それが「あり得る」という

現状があります。

 

これに関しましては

男性と女性では

性に対する情報の量が

全く違うため、仕方のない部分もあると思います。

 

「女性は貞淑でなければならない」

 

という風潮は

まだまだ根強くあります。

 

ですから

「女性」が

「女性のために」

「性を語り」

「性を施す」

 

という

「同姓同士の解決」に

至ります。

 

同姓同士のほうが

「からだ」については

やはり、詳しいですからね。

 

自分がきもちよくなるためのオナニーや

 

自分が「どうしたらきもちよくなるかを知る」ためのオナニーは

 

男性同様に

女性にも必要なことなのです。

 

ひいては、それが

 

「セックス」に

つながっていくわけですから。

 

是非、男性の皆々様に

ご理解いただきたいことと

感じています。

 

「正義」という名の「価値観」の違い

 どんなことを

誰が、どんなふうに

しているとしても

 

皆々様

「自分自身の正義」のために

やっていることです。

 

それぞれが

信じて、持っている

「自分自身の正義」のために

 

一方からみたら、いいこと

一方からみたら、わるいこと

をしています。

 

自分には自分の

「正義」があるように

パートナーにも

パートナーの

「正義」があります。

 

その「正義」は

「価値観」と

表現することも出来るかもしれません。

 

 

自分自身の「正義」は

パートナーにとっても 

「正義」とは限りません。

 

みな

「正義」は「違い」ます。

 

そして

「正義」は

「プライド」とも言い表せるかもしれません。

 

ですから

コミュニケーションを取りながら

 

「パートナーの正義」を

知る必要があるのだと

思います。

 

人は

自分自身の「正義」を犯され

侵略され、裏切られ、踏みにじられたとき

信頼を失います。

 

そうやって

一同失ってしまった信頼は、ほぼ戻らないといっても過言ではないと思います。

 

皆々様

自分の正義のために生き、選択し、行動しているからです。

 

「そこ」を理解できているか

 

そうでないか。は

 

後に、人間関係やコミュニケーションに

「大きな違い」を

つくることになるのだと感じています。

 

特にセックスは

その人を深く知るうえでは

非常に情報が多いコミュニケーションです。

 

たった一回きりが多い。。 

 

いつもからだの関係だけ。。

 

セックスがマンネリ。。

 

セックスレス。。

 

そんな繰り返しをしてしまう場合

 

自分自身の価値観

 

パートナーの価値観

 

見つめる必要があるタイミングなのかもしれませんね。